美容師の効能

髪を切りにいく。
大体ひと月に一回、間があいてもふた月に一度。
新しい靴や服を見に行くより、美容院の扉を開ける方が気分が変わる。
私にとって髪を切りにいくことは、単に髪を整えること以上のなにかがある。
なにかお祓いのような、溜まってしまったものを落としにいくような、そんな気分である。

いま私の髪の毛の面倒を見てくれている美容師のひとは、
一度の浮気相手で通り過ぎるはずのひとだった。
そんな風に書くと何だか素敵な誤解を生みそうだが、
それまで美容院を変えることはあまりしなかった、ということだ。
自分の髪の癖がそこそこ強くて、でもそれに抗うような髪型が自分の理想型で、
それをうまく纏めてくれる人はそうはいないと思っているからだ。

髪を整えに行くこと以上に何か変化が欲しいと思ったら、「切り手」を変えてしまおう。
そんなつもりで、以前の美容院に通っているさなかに一度だけ、いまの美容師のひとに切ってもらった。


そのときの彼とそのときの私は、ちっとも噛み合なかった。
自分の髪の質・癖と、それにはそぐわない私の理想。自分でもわかっている矛盾を、ほかの切り手に委ねたら今までとは全く違う解決法を見せてくれるかも、という過度の期待。一見の客なのに、無理な話である。
そして彼は私の癖ではなく、理想の方を優先させてくれた。結果、数日後にはナニか違う、という思いに変わってしまったのだ、やはり。
いま思い返すとどう考えても噛み合う訳がないと分かる。申し訳ないことをしてしまったものだ。
結局そのとき私は元の鞘にもどることを選んだのだが、数年経って、またふと、あの時の彼に切ってもらおうかなという気が起きた。

たった一度、数年前に訪れただけの客なのに、そのひとは私を覚えてくれていた。
どうやら彼にとって私は「惨敗を喫した相手」的に記憶されていたようだった。
今度は全部任せることにして鏡の前に座る。
立たせたり、別の鏡の前に座らせたり、外しておいてあった眼鏡を掛けさせたり、また外させたり。
丁寧にゆっくりと。
鋏を入れ、慎重に慎重にバランスを見、ときどき彼の趣味の話しをしながら、鏡の中の私の髪が整えられていく。
いつもは感じない、自分の表情が変わっていく様を、そのときははっきりと目にした。
ああ、なんか迷ってたんだな、とまるでひとごとのように自分のことが見えた気がした。
「なんかもやっとしている」ことにさえ気がついていなかったことを、鏡越しに発見した日だった。
それ以来、その美容室はちいさな拠り所になった。

今月もまた髪を切りにいく。
その美容師と趣味の話しをし、暮らしの話しをし、仕事の話しをし、その間にも
私の伸びてしまった髪と、溜まってしまった何かが削ぎ落とされていく。
さっぱりと新しい心持ちになる特効薬のような時間。

「効果・効能については個人差があります」
ただ私には非常に効き目があるのです。

 

2017.4.11