食べることは人生だ。
かしこまった食事も、家族で囲む普段のご飯も、飲んだくれてあまり記憶にない一皿も、全部血となり肉となり、記憶となって身体に蓄積されていく。
しかしその記憶というのも、美化誇張忘却の賜物である。どんなにスペシャルな食事でも何か留めるほどのパンチに欠ければ忘れてしまうし、死ぬほどまずくて忘れてしまいたいものが、いとも簡単に思い出されたりする。不思議なものだ。

 

自分の家ではない「行った先」での一皿は、そのときの出来事の記憶と相まって印象に残りやすい。その旅行が楽しければ「おいしかった」または「ものすごくおいしかった」ものとして印象付けられることもしばしばだ。例えば・・・

 

 

いろいろな勘違い+行き違いの末、ヘトヘトになって行き着いた、深夜のローマ・テルミニ駅。空港から猛ダッシュの末、ミラノ往きの夜行列車に飛び乗るはずだったのだが、一足違いで最終列車は出発したあと。
どうにかその晩を凌ぐため、何か売っているのか何のためにいるのかよく分からない怪しい人々がうようよしている駅を抜け出し、宿を見つけ、やっと夕食を摂るために近くのピッツェリアに潜り込んだ。
目の前におかれた大きなマルゲリータと生ハムとルッコラのピザは、カリッと窯で焼かれ、ミミの歯ごたえのあるフカフカ感といい、底の部分のちょうど良い薄さといい、理想のピザそのものだった。
イタリアだし、ローマだし、ピッツェリアだし、「本物を食べている」という感慨もあったには違いないのだが、空腹と安堵感も手伝ってただただ幸福に美味しかった。

 

もう閉まり掛けの、他にお客さんの居ない店の中で食べたそのピザは、今までの私の記憶の中で一番おいしいピザに位置づけられている。
しかしその幸福なピザの翌朝、乗車率200%超のミラノ行き列車に、それこそ足の置き場もないようなすし詰の車内で7時間揺られるハメになった。全く予想 外の出来事である。しかしその最悪の出来事のお陰であのピザの味は更に高い「旨かったもの」へ昇華したような気がしている。

 

初めて旅行で訪れたロンドンの「紅茶」もよく覚えている。
ピカデリーサーカス近くの、ニューズエージェント(キオスクのようなもの)に毛が生えたようなカフェ?で注文したミルクティーは、発泡スチロールのカップ に「ミルク、ティーバッグ、お湯」を一遍に入れてそのまま渡されるだけの本当に雑なものだった。にも関わらず、東京のカフェやホテルのティールームで恭し く出される紅茶の何倍も美味しかった。ああ水の質が全然違うんだなぁ、と納得したのを覚えている。
その頃の東京では、外でミルクティーを注文すると、なぜか親指の先ぐらいの大きさの、ままごとのようなミルクポットに、ミルクではなくクリームを入れて出されることが多かった。
あの「クリーム習慣」は一体全体なぜ起こったのだろう、と今でも不思議でしょうがない。

 

「ヨミ間違い」で不思議な食べ物に出会ったこともあった。
ロンドン・チャイナタウンの中華料理店で、「雨」の文字の入ったデザートに出会った(4文字漢字の名前だったが忘れてしまった)。涼しげで奇麗な字面だけ れど、それでは何だか分からない。英語の説明を読むと「Bean curd with syrup (豆腐のシロップ掛け)」とだけしか書かれていない。英語では中国の幅広く奥深い味覚は説明しきれないと思い込んでいたので、きっともっと複雑で美味しい ものが出てくるに違いない、折角だしたまには新しい食べ物にチャレンジ!したのは、良いのだが・・・
私の目の前に出されたのは、本当に「絹ごし豆腐にシロップを掛け」たものだった–––。
あとになって調べてみると、恐らく「豆腐花」もしくは「豆花」と呼ばれる台湾などではポピュラーなデザートのようで、絹ごし豆腐とは違うもののようだが、 デザートを期待した舌と、これは本来醤油をかけて食べるものという思い込みとの葛藤の所為で、一口食べて何とも言えない気分になった。

 

あんまり危険な賭けに出るものではないということ、英語の説明文もたまには真実だということを胸に刻んだが、結局今でも冒険して失敗したり、思わぬ美味しい発見をしたりしている。

 

ここには書ききれないけれど、いろんな味と時間と空気を、たくさんの場所で味わってきた。家から出て「すぐそこ」の店で食べたものが、生涯忘れられないも のになることだってある。十何時間も飛行機に詰め込まれて行った先で味わったものが、全く記憶にないことだって、まま起こることだ。本当に記憶というやつ は気まぐれで思い通りにならない。

 

そうやっていろんなものカラダに詰め込んで、
さて生涯最期に思い出すのは、どの味なんだろう。

 

 

 

「災難は最高の調味料」 2011.07.28

BOOK246 coumn vol.255