「トリノへ」

 

好きな場所がいくつかある。地下鉄の電車の中の先頭か最後尾。トンネルの中。ほの暗い地下道。 ぐるぐると繋がる螺旋。理由は分からないがこういう場所に身を置くのがとても好きだ。清々する開けた場所もいいけれど、 どちらかと言えば暗かったり囲まれていたりする場所の方が好みに合っている。そのなかのぐるぐる螺旋の話し。

 

初夏のミラノ。まだ夏の盛りになる前とは言え、日本とは比べものにならない強い日差しの中、ミラノを出発して車の旅。 この旅行の2番目に重要な目的地、トリノを目指して。

イタリアと言えば車、という人も多いだろう。Ferrari、Lamborghini、Maserati、そして国内最大の車メーカー、FIAT。 ミラノから西へ、車で2時間もかからず着けるこのトリノ市は車の街、フィアットの街でもある。

 

現在稼動している自動車工場とは別に、建設当時大きな話題 となった旧工場を商業施設にリニューアルさせ、一般に開放している。 その「Lingotto」と呼ばれる場所がこの旅の目的地である。屋上にあるテストコース、そこに至るまでの螺旋状のスロープ。 更に、あのル・コルビュジェに美しいと絶賛させた建物とあれば見に行かなくてはなるまい。

 

現在のリンゴットはレンツォ・ピアノの設計で再開発が進められ、オフィス、コンベンションセンター、ホテル、 ショッピングモール、ギャラリーなどを含んだ複合商業施設になっている。施設内のホテルに一泊することに決め、 建物の中を散策に出掛けた。さあ、目当ての螺旋はどこにあるだろう?

 

その日はイタリアでは休日にあたり、ショッピングモールは、当り前だがイタリア人の家族連れでいっぱいだった。 ガラス製のリフトやフードコート、キッズスペースに土産物屋。どれを見てもクラシカルな工場の片鱗は残っていない。 東京でもよく見掛ける大型商業施設と何の変わりもなかった。ひとが立ち入れる場所はくまなく歩いてみたが、 「美しい螺旋」には行き当たらない。

半分諦めかけた頃、人気のない廊下の奥まった先にピカピカ の商業施設然とした空間とは異質な、荒っぽい木の扉を見つけた。 納屋にあるような大きくて雑多な木製の扉に穴をあけ、チェーンと南京錠が掛かっている。気になって穴から覗いてみると、 そこは正に、探していた螺旋のスロープだった。幸い南京錠は引っかかっているだけ。ガードマンも近くに見当たらない。 こっそりドアを抜け中に入った。

 

扉一枚向こうのピカピカざわざわした場所が遠くに感じられ るほど、音も人の気配もない。 色を排除した無機質なコンクリートの、静かで、力強くて、繊細で、ほの暗い空間がそこにあった。 見上げれば放射状に掛けられた梁、その先の天窓から薄曇りの白い光。下を覗き込めば緩く優雅に連なる手摺。 埃で曇った窓から街を眺めながら、屋上へ向かうスロープをゆっくり上って行く。

場の静けさとは裏腹に気分はどんどん高揚していき、ぶれるのも構わず何度も何度もシャッターを切った。 35mmの小さなマスに、あの死んでしまった空間の動かない空気が焼きつくことを期待して。

 

屋上へ出た。

5階建ての建物なら東京では珍しくもないが、ここではトリノ市内がぐるりと見渡せる。 そんな場所にある試験走行用のコース。急勾配のバンクまである。何度か事故もあったらしいことを聞くと、 正気の沙汰ではない。しかし企業秘密を守ることを考えれば、他の建物から覗かれる心配のないこんなところが、 最良の場所なのだそうだ。

 

ここを走行する羽目になったドライバーはどんな気分だったのだろう。意外に楽しんでいたのだろうか。 あの螺旋のスロープを走らせて辿り着く先がそんな風に見晴らしのいい場所で、バンクもあって、スピードを上げて走ることが 許されているとすれば、楽しみの方が勝っていたかもしれない。普通、事故を前提に車を運転はしたりはしないのだから。

 

確かに、コースの上をぶらりぶらりと歩いていると、折角ならフィアットの車に乗ってここを走ってみたかったなと思う。 大真面目につくったはずの建物なのに、洗練された秘密基地、と形容するのが妥当なような、 何ともいえないおかしさと楽しさがある。

想像通り。いや想像以上に魅力のある場所だった。

 

総合的にみれば、必ずしも成功した施設とは言えない。私が魅力を感じたのは、商業施設として生まれ変わる前からある、 もともとの工場の機能の部分だった。新しく付け加えられたドームやリフトや広場も、どうしても其処に必要と思えるほど、 特別でも馴染んでも居なかった。一般に開放されたからこそ私が見に行くことも出来たのだけれど、個性の強い空間に、 誰も付いて行くことが出来ずにいるような印象を受けた。

 

あの冷たくて、美しい場所を見てしまったら、仕方が無いかも知れない。

言葉で形容し難い、特別な空気のあるモノは、結局ほかに置き換えることは出来ないということなのだろう。

 

2009.2.19

BOOK246 column vol.190