「不味いがうまい」

 

日本に住んでいて「不味いもの」を口にしたことがあるひとはどれくらいいるだろう。 美味しくないものを食べたことはあっても「積極的に不味いもの」に出会うことは中々ないのではないのだろうか? 好き嫌いやアレルギー、経験的に知らない味に対してなどの問題は別として、 それなりに手を掛けられていればそこそこ食べられる状態が普通だと思う。

それでは「まずい国」で有名だったイギリスはどうか。

 

時は2000年頃。場所はロンドンから電車で1時間ほど離れたちょっと田舎の大学の食堂。 昼時になると毎日違う温かいメニューが供される。例えばキッシュの温野菜添えとか、 鱈とホワイトソースのグラタン、パイ、ミートボール、ラザニアなどなど。それとは別にチップスやジャケット ポテトは定番メニューとして必ずある。

見た目としては少々ぶきっちょな家庭料理風。しかし大きな 皿にこんもりと 盛られた料理を口に運ぶと・・・正直不味い。食堂のおばさんたちが毎日手を掛けて作ってくれているのに、だ。 パイやホワイトソースは大抵粉っぽい。下手をすると生焼けだったりする。温野菜は色が無くなりそうなほど茹で倒され、味も食感も何も残っていない。パスタはぶよぶよ。グレービーは粉末のものをお湯で溶いただけだろうが、 それにしたって水の入れ過ぎじゃないかと思うほど味がない。

諦めてパックに入ったサンドイッチを買うと、 これもまた不味い。味が全くないのだ。サンドイッチを開いて塩・胡椒を自分で掛けて食べる経験は生まれて初めてだった。日本で食べるサンドイッチはサービス過剰なほど味付けされているのが当然だから。

そうなると、チップス(揚げた芋)かジャケットポテト(焼 いた芋)に自分で味付けして食べるのが 一番間違いない。まあ学食ごときに文句を言う方が野暮というものかも知れないが美術館や博物館の食堂も 似たり寄ったりだったような記憶がある。じゃあ私が食べた食堂が特別不味かったのかと言えば、 他の人は普通に食事していたのだから、一応及第点ではあるはずだ。

 

じゃあ不味いものしかないのか、といわれればそうでもない。

林望の「イギリスはおいしい」(文藝春秋)のお陰でイギリ スの味わい方は随分一般的になった。それにちゃんと したレストランはちゃんと美味しいし、他国料理も「本物の味」がする。家庭料理を食べる機会がなかったので、 そちらがどうだったかまでは判らないが、きっと美味しいものもあったに違いない。それに今はBBCのTV番組「Naked Chef」で 有名になったジェイミー・オリバーのお陰で、学食その他のレベルも格段に良くなったようだ。

 

うろ覚えだが前出の「イギリスはおいしい」に、同僚の大学教授の女性が学食で、ぐずぐずになったズッキーニとベイクド・トマトを食べ 「ああ、イギリスに帰ってきたって気がしますわ!」という件があった。 その気分はイギリスに行ってみてとてもよく分かった。

 

逆説的ではあるのだが、不味そうなものをみると、どれだけ不味いか試したくなるようになってしまったのだ。 そして予想通りの味に「ああやっぱり不味い」と安心する。こんな食事の楽しみ方はイギリスに行かなければ 経験しなかっただろう。

それに、今東京で思い出すのは、美味しかったものの数々ではなく、粉っぽいパイや変にモチモチするソーセージや、 色の抜けた歯ごたえのないインゲンのソテーだったりする。

美味しいものは、求めればどこでもいつでも手に入れられる、多分。

しかし正しく不味いものは求めても中々得られない、かもしれない。

 

2009.5.15

BOOK246 column vol.190