ステージ

人生において何度か、場合によっては何度となく「驚愕することば」と出会うことがある。
それが心に沁みる、良い方向へ作用する言葉であれば幸せだが、
怒り心頭、あまりの驚きに顎が外れて二の句が継げない、という状況の方が残念ながら多数かもしれない。
私のこの10年の中で後者に含まれる言葉BEST1は「そんなステージ」である。

今の住まいを得たのは本当に偶然も偶然、そしてその偶然の出会いを取り逃すことなくピンと来てくれた相棒のお陰に他ならないのだが、手順としては不動産屋のサイトから内見申し込みをして、というものだった。
担当者は、まあ普通の大手不動産屋の営業で、取り立ててどうということはなかったのだが、
その担当者とこんな遣り取りがあった。

私の相棒はバイク、スクーター、車、自転車、とにかくタイヤの着いたものを愛する人である。
そして今はスクーターとバイクを数台ずつ、愛情込めて手入れをしながら大事に乗っている人である。
車は今のところ持っていない。
とくに必要性を感じないことと、全てを凌駕するほど素敵な車両に出会っていないから。
だから駐車場のある物件であったとしても、バイクやスクーターがおけなければ、「住めるか、住めないか」への答えは大きく変わってくる。

当然のことながら担当者に対して、
「このマンション、駐輪と駐車のスペースはあるようですけれど、バイクはおけますか?」
と質問した。当然だ、二輪好きには死活問題なのだから。
そのときの返答が
「バイク?無理じゃないですかね、そもそもこのエリアには『そんなステージ』の方は居られませんから」。
耳を疑った。というより、何を言われているのかよく理解出来なかった。
いま、なんて仰いました?
ステージ?「そんな」ステージ?
ステージってそもそも何ですか?歌って踊る台のこと?

本当にびっくりした。
あなたの基準ではタイヤが多い方が金持ちなのか。
二輪より四輪の方がえらいのか。じゃあトレーラーはどうなんだ。
きちんと整備された1961年式のメルセデスと、碌に掃除もされていないような最新のメルセデスを並べたら、どっちを「より高いステージ」だと思うんだ?

確かに私たちは経済的に、非常に豊か、な人間ではない。
しかし、いくら人から見れば「ボロいベスパ」に乗って来ていようが、お客さんになるかもしれない人に向かって言う言葉だろうか。
どれだけこの車両に時間と(お金と)エネルギーが注がれているのか、あなたに分るのか。
この男の前に「仲介手数料」という名目で少なくない額の現金を積まなくてはならないかと思うと、心の底から腹立たしかったけれど、そこは惚れた弱み、この住まいを見て「ここなら住める」と直感的に感じてしまった身としては、啖呵切って他をあたる訳には行かなかったのだ(バイクも置けることが分ったし)。
しかし住み始めてみれば周りは「そんなステージ」の人だらけだったのがおかしい。
休日にバイク整備をしていれば、一緒に座り込んで話していくひとや、
タンデムで出掛けようとすると声を掛けていく人が何人もいる。
じゃあここはどんな「ステージ」なんだろう?「夢のステージ」?

私が知っている本当のお金持ち(嫌いなことばだけれど)は、そんな札束の風呂に入ったような分りやすい出立ちはしてくれていないのである。教養や物腰や言葉遣いや、ちょっとした「譲られた」持ち物や選ぶセンスや、非常に微細な表立っていないところに、行儀良く隠されているものなのである。
それは一朝一夕のお金では解決してくれない裏付けられた豊かさである。
そのことをあの担当者はちゃんと見抜けるのだろうか。多分彼にとっての天変地異的出来事が起こらない限り、一生掛かっても無理だろう。

「ステージ」。
今となっては話しのタネとして面白おかしく話すことができるけれど、
ふと我が身を振り返ったとき、同じことをしていないだろうか、と思う。
それこそ札束の風呂から出て来たような格好の人に、はじめからシャッターを下ろすようなことをしていないだろうか。ちょっと自分の感覚とはズレているからと言って、端から耳を塞ぐようなことをしていないだろうか。「モノの解った人」の振りをしていないだろうか。
自分の発した言葉ひとつひとつに自信が持てるだろうか。

しかしまあ、ステージとは。
私に新しい言葉と、ひとつの価値基準を示唆してくれたことには、心からあの担当者に感謝致します。

 

 

 

2012.08.09

「そんなステージ」の人々のお祭り
「そんなステージ」の人々のお祭り
ただいま整備中。
ただいま整備中。
愛いやつ
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