ぽっかりと、突然。
青山一丁目駅周辺の、オフィスやらお店やらに囲まれたこの土地に不思議な場所がある。
青山斎場脇の都道319号線と外苑東通りに挟まれた中州のような場所に青い景色が突然に現れる。ちょっと嘘みたいな光景だ。 芝生と低木とひと一人通るのが限度の細い道。 朝早く起きた時誰も居ないこの場所を、何ということもなくポツポツ歩いてみたり、用事を済ませた帰りの暮れかけた頃に、 少しだけ遠回りをしてここをフラフラ歩いてみたりする。考えごとをしている時も、何にも考えていない時も。目的があっても なくても。 すぐ側をがんがん車が通り六本木の高層ビルがすぐその先にみえる街の、この場所だからこそ、何となくの開放感がある。 こどものための遊具もわざわざ設えられた何かも全く何もないただの青い場所は街の中だからこそ必要なものなのだと思う。
都の所有なのか私有地なのか、誰のものか知らないけれど随分と素敵な場所を残しておいてくれたものだ。

 

例えばロンドンにはハイドパークやリージェントパークのような大きな公園でなくても、街のあちこちにプライベートガーデンが 点在している。通り掛かりの普通のひとが入れる小さな公園もあるし、住宅には大抵裏庭があって、隣家の庭同士が隣り合っている のでちょっとした森のような光景になっていることも多い。実際、街中にも関わらず狐やハリネズミやリスに遭遇したり、東京では 考えられないワイルドライフが隣り合っていたりする。別の例として、ミラノは表向きの「公園」は比較的少ないように思えたが、 建物の中にはコルティーレと呼ばれる中庭があり、住人のための緑が茂る。街の中心に寄れば寄る程街路樹がきちんと整備され建物に 囲まれた街の中に陰影をつけるのも夏場に濃い影を落とす日差し強い国では、また別の効用があるようだ。

訪れたことのある二つの都市を見てみても、新興住宅地や低所得者向けの住宅がある場所には緑が少ない気がしてならない。 もちろん更に郊外になれば住宅の割合は減り、一戸当りの土地が増えて庭が出来、山や農地があるのは当然だけれど、ひとと 建物が密集する場所にこそ緩衝剤が必要になる。そう考えると「緑」は余剰物、贅沢品になってしまうのだろうか。
大型の開発事業の上に「造られ」た「広場」もしくは「公園」も確かに悪いことではないのだけれど 「さあここがみんなの場所ですよ、素敵でしょう」と置かれた場所は自由度が少なくその分魅力も少ない気がする。 その場所が育って馴染んでいくまでには相当の年月がかかる。10年後、20年後をみて判断するべきことで今とやかく 言うことは フェアではないことは分かっているが、結局のところそれはひとが手をかけ、どう自分の場所としていくかに関わっている。 自然がいい、山暮らし、エコ。様々な自然と環境に関する発言がされているが既に過剰になってしまったひとと建造物で 成り立つ街として、今後この街はどう変わっていくのだろう。

都市の「緑」を考えると、赤坂御所に負うところは多いかも知れないが、 青山一帯は東京都の中でも緑の多い地域ではないかと思う。この駅の周辺を見るだけでも、前出の公園があり、 うっそうとした高橋是清公園あり、絵画館前の並木道があり、乃木公園があり、青山墓地があり、神宮外苑があり、 ちょっと離れて赤坂氷川神社があり、都心のくせにしあわせな環境には違いない。 街のなかをポツポツ歩きながらそんなことを考えてみた。

 

2008.11.28

BOOK246 column vol.170