ここ1―2年、日曜の午前中は古物市に出掛けるのが習慣になっている。

イギリスにいた時からフリーマーケットにはよく出掛けていたが、そもそもこの習慣が復活したのは和食器が欲しい、という理由からだ。今の住まいは、空間は 白、テーブルも白、食器も何故かほとんど白、でスタートした。作業台兼用のテーブルなのでテーブルクロスを掛けることも稀で、料理をつくっても今一つぱっとしない。
「全部白いからいけないんだよ」という当たり前のことを和骨董好きの友達に指摘され、それから食器探しが始まった。
昭和や江戸の呉須の淡い色、濃い藍色の器を、ぽつりぽつりと手の届く範囲で少しずつ揃え、ご飯に御御御付けという食卓でもそれなりに色のある夕餉を囲めるようになって来た。

 

そうかといって出掛ける度に食器ばかり探していた訳でもない。
工具や着物、玩具にトランク、ボタン、空き箱、団扇。一度誰かに使われたもの、使われずに時間が経ってしまったものがずらりと並び、埃とよごれの許容度を計りながら、一つ一つみていくと思わぬものに出くわすこともある。

 

大概の市はとおりがいいように骨董市と呼ばれているが、できることなら古物市と呼びたい。
もちろん骨董=アンティークも中にはない訳ではないのだが、骨董というにはジャンクすぎるものが多い。そこまで年代を経ていないもの、状態がそれほど良くないものがほとんどだ。
しかしフリーマーケットではちょっと物足りない。フリーマーケットは「今」の「店主が要らないもの」が並ぶ。お店屋さんごっこみたいでのんびりしているし、ときどき「これ買い損ねてたんだよ!」と思うものもあったりして楽しいことは楽しいのだが、古食器、古着物は使えるくせに古着の洋服は何故か買えない 私にはあまり用事がない。古物市が丁度いいようだ。

 

こちらは蒐集家でも玄人でもないので、眼の玉が飛び出るような骨董より、半端ものの古物の方がいい。時には少し高いけれどどうしても欲しい骨董的商品にも出会うが、一期一会と知りながらまだまだ贅沢、と諦めることもある。後ろ髪を引かれるところも、古物市の醍醐味だろう。

 

イギリスで言えば、ロンドンのポートベローがアンティークでは有名だが、ジャンクというなら多分郊外のフリーマーケットの方が面白いだろう。暫く住んでい た田舎町でも週末ごとに市が出て、貧乏学生にはありがたい価格で食器などの日用品を手に入れることができた。流石に鍋などの調理器具を買う気にはなれな かったけれど、小さなリキュールグラスやヨーグルトを食べるようなボウル、トーストをのせる皿はこのマーケットかチャリティーショップと呼ばれるセカンドハンドのものを扱う店で揃えた。一つ10pとか50p(大体10円、50円くらいの感覚だろうか)ならば安心して買うことができる。


買う目的がなくても、ジャンクマーケットをのぞいているとイギリス人のフツーの生活が見える気がしてくる。鍋のサイズがことごとく同じ直径だったり、トー スト・スタンドがやっぱり出ていたり。聞いた話では靴が片方だけ売られていたこともあるようだ。だれか同じ靴のもう片方を持っている人が居るかも知れない だろう?というのが店主の言い分らしいのだが、そのメンタリティーも片方だけ靴がなくなるという状況も非常にイギリスらしい。

 

そんなジャンクばかりでなくきちんとした骨董を扱うポートベローへも時には出掛け、手は出ないながらも、いいもの、奇麗なもの、時代の経ったものをゆっくり見て回るのも悪くない。その道の専門家が、屋台のような店構えの気安さからか、聞けばいろいろなことを教えてくれる。

 

国際フォーラム、乃木神社、平和島、新井薬師。他にも都内の様々な場所で行われる市に出掛けると場所場所で得意分野があって、使い分けるのもなかなか面白い。

 

そうやってぐるぐる回って集めた食器を前にすると、実家の両親の選んだ、色のある和食器・洋食器がとりどり並び、食卓を、料理を、きちんと彩っていたことを改めて思い出す。現代も大正も江戸も、スペインもフランスも中国もイギリスも、去年も昨日も今日も、時間や場所の違うモノたちがぜーんぶ一緒にテーブルの上に並ぶ。万国旅行どころか時代すらも縦横無尽。

 

つい先週は団扇をひとつ手に入れた。
竹の細工が今のものよりずっと細やかで、ひと扇ぎするととても柔らかい風が吹く。
この風はいつ頃の風なんだろう、と扇ぎながらしばし考える。

 

 

「日曜日のこと」2010.06.12

BOOK246 column vol.231