思い出のしな

旅先から帰ってしばらくして熱が冷めてみると、なんでこんなものを買ってしまったんだろう?と
自分ながら首を傾げしまう経験はないだろうか。
旅熱に浮かされた買い物。
例えば必要もないキーホルダー、パッケージに笑ってしまったが故に手にしたお菓子、
何となく周りの空気感の良さで、もしくはあまりに酷過ぎて驚愕のあまりうっかりお金を払ってしまった置物・・・
人によって手にしてしまったものは千差万別だろうが、誰でも1度や2度は経験があるだろう。

いわゆる「土産物」で記憶に残るのは、パリのポンピドゥーセンターで買った電球だ。
クリアの電球の中のフィラメントがエッフェル塔とPARISの文字を組み合わせた形になっていて、
灯りを点けると本当にフランスらしいエッセンスが溢れる愛らしいひとしなだった。
残念なことに電圧の関係で東京ではきちんと点灯させることはできなかった上、
持って帰って来てから暫くして壊れてしまった。
イギリスにいる間だけの楽しみだったけれど、今でもセンスのいい土産物だったと思う。

大人になるに連れ、そして旅の回数がひとつずつ増えていくに従って、
「馬鹿な買い物」の率は減ってくるけれど、旅行中に気が大きくなって買ってしまったものは依然としてある。
どうも私は旅先で調理器具を買いたくなる性分らしい。
大阪ではすき焼き用の鋳鉄の鍋、出汁巻き用の銅鍋、カセットコンロ式のたこ焼き器(然もこれは出張中)。
ミラノではラビオリを作るためのプレートと専用の麺棒、魚焼き用アルミ製のグリル、片手フライパン型の白い陶器の皿、パリではクレープ生地を薄く伸ばすためのスウィーパーのような、スクレーパーのようなもの(正式名称を知らない)、そしてどこにいっても木製のヘラや杓文字の類いを数限りなく買い、未だにキッチンの一角でかなりの嵩を取っている。
特に海外に出ると、その土地の食文化を反映した台所器材が面白くて、見ているだけでも楽しい。
持って帰ってから本当に使うのかどうか、一応その場である程度の考慮時間を取ることは取るのだが、
大概の場合、その場の空気と旅行中の「何かスペシャルなものが欲しい熱」に浮かされて財布を開いてしまっている。
まあ1年に数回は使っているのだから、要らないものを買った訳ではなさそうだ。

それ以外の思い出の品と言うと、膨大な量の写真のプリントとネガ、いままでのスケジュール帳、
大学時代から仕事のときに使ったクロッキー帳、映画や芝居やライブの半券、カタログやリーフレット。
数え上げればキリがない。ものに依っては本も含まれる。
時によっては邪魔で仕方がなくて、家をすっきりさせるために捨てるなり片付けた方がよいのでは、と思うこともある。
しかしいざ片付けようと開いたが最後、そのときの空気がまるで昨日のことのようによみがえって、
懐かしくてたまらなくなって、結局は整理し直しただけでまた元の場所に押し込むことになる。
思い出はちゃんと自分の記憶のなかにあるはずなのに、手に取り目で辿り直す力には及ばないらしい。

先日またひとつ、思い出の品になるであろうものが手元にやってきた。
たくさんのメッセージが書き込まれた冊子。
今はまだ近過ぎて少しほろりとしてしまうくらい、生々しく鮮度の高いものだけれど、
いつか見返して、さっぱりと懐かしく思うのだろう。

思い出のしなとは、なんと厄介で愛おしいものなんだろう。
当分の間、すっきりとしたモノのない家とは縁がなさそうだ。


BOOK246 column 2012.07.25