ある日目覚めたら誰もいなくなっていた。

家の中にも、通りにも、街の中のどこにも。

家族も、友人も、近所のひとも、いつも行く店のひとも、公的施設や政府の人間も誰もいない。

代わりに「rage(凶暴性)」という名の ウィルスが国中に蔓延していた・・・。

そんな恐怖を描いたホラームービー、ダニー・ボイルの「28日後」を遅ればせながらDVDで観た。 興味はあったもののゾンビ映画なので敬遠していたのだが、これがとても面白い。

 

全く人影のないロンドンの街を撮影したということで、冒頭のそのシーンだけでも、と深夜に見始めたのだが、話のきっかけのつくり方、 ストーリー展開のうまさ、映像の美しさに目が離せず、結局最後まで見てしまった。

「狂って」いるのはどちらか、最悪の状況で死を選ぶことと生き続けようとすることどちらが幸せか、ひとの中に潜む凶暴性は動物として 生き残るためにあるのか。様々な「きっかけ」を散りばめた、単にホラームービーとは言えない映画である。

 

無人のロンドンで横倒しにされたダブルデッカー、

人影のないロンドンブリッジ、

車の通らないマンチェスターの高速道路、

その中で際立つ完璧に整備された、郊外の重厚で寒々しい屋敷。

全編を通して映し出される、どこまで行っても誰もいない道、線路、道路、平原のどんよりした暗い画とは対照的に、途中で差し込まれる、 ハイスピードカメラで撮られた雨や、血なまぐさい「戦場」に映える赤いドレスの絵が、物語の暗さを引き立てつつハッとするほど美しい。

中野正貴が無人の東京を撮った写真集「TOKYO NOBODY」のように、清々しささえ感じさせる、からりとした静かな情景ではなく、 異様で気味の悪い空気感を漂わせた映像は圧巻である。

 

ひとの溢れかえった都市で誰もいない映像を撮る。誰かが居ることが当たり前の日常で、どうやって撮ったのだろう?という 純粋な興味とともに見始めた映画。

例えば子供の頃、夢の中や眠りから目覚めた時、「誰もいない」恐怖を擬似的に味わった経験は多くのひとが持つだろう。 しかし泣き出せばすぐに家族が顔を見せ、その悪夢はすぐに終わるのだが、オトナになった今、殺される恐怖、ひとを殺してしまうかも しれない恐怖より、もしかしたらひとりぼっちで「正常」なこと、意思を伝える相手が居ないことこそが恐怖なのだ、 と思わせられる内容だった。

 

こんにちは。英語なら「Hello」。

この映画の主人公は、冒頭から誰もいない街向かって「Is anybody there?」でも、「Help!」でもなく、「Hello!」と呼びかけ続ける。

外国へ旅立つとき、他のどんな単語を知らなくてもこの一番短い挨拶の言葉と、感謝を伝える「ありがとう」の単語だけは覚えるものだ。 対話の入口であり、頻繁に口にする単語であると同時に、ひととひとを繋ぐ一番大切な言葉でもある。

この「HELLO」がエンディングで重要な意味をもつのだが、それについては映画を見て頂きたい。

 

この映画は、ある善意に基づいた行動が結果的にウィルスを 蔓延させ、国を崩壊させるに至るところから始まる。善は悪の萌芽でもあり、 悪に見えることが必ずしも間違っているとは言えない。

全ては、どの視点に立つか、そのひと次第。

DVDでは本編の結末とは別のエンディングも用意されている。どちらを選ぶかは観たひと次第。

 

いつゾンビが襲ってくるかヒヤヒヤしながらみるホラームービーではあるが、それ以上の怖さと美しさを備えた2時間弱のエンターテイメント。

見るかどうか。

それもやっぱりあなた次第。

 

 

 

 

 

※この次の作品で「28週後 - 28 weeks later」もあります。

 そちらは見ていませんが、聞いた話だとガッチリなホラームービーで

 大分趣きが違うようです。

 

 
 

2009.8.6

BOOK246 column vol.198